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いま息子が2階から降りてきた。

いま息子が2階から降りてきた。_d0002395_0102192.jpg いま息子が2階から降りてきた。
 野球のユニフォームに着替えて、バイクで草野球に行くところだ。
 彼は家にある2台のパソコンに触れようともしない。めんどくさいらしいのだが。
 いまやパソコンを事務所で使えないと、社会に出て仕事ができない時代になっている事は前から伝えていた。来年は部活でパソコンに向かうというので安心した。
 仕事で苦労したキミの父親(ボク)が、自分のやってきた失敗や苦労をこのログに残しておくので、失敗しないで上手に生きていくためにこのブログを読むように伝えておいた。わりあいに素直に育ってくれた子なので、いちおう「わかった」といって、いま出掛けては行ったのだが・・・。
今月の30日でボクが47歳。息子が19歳。結婚生活は20年目を迎えた。
 自分の父親とまったく同じ年齢パターンで、ボクも自分の人生を生きている。
 (ちなみに、ボクは息子になぜ奥さん(つまり彼の母親)と結婚したか、その理由も前にちゃんと伝えておいた)
  K同印刷での10年前に、仕事が出来ずに苦しんでいた最中絶えず思っていたのは、「こんな苦しい状況の中で親父だったらどんなやり方でこの場を凌いでいただろう・・・!!」という思いだった。
 苦しみから脱出するための知識としての人生ノウハウ本のコトバではなく、生きて仕事をしてきた、いわば社会人の先輩である父親の肉親としての〝生きるための知恵〟を教えてほしいと痛切に思っていたのだった。
 1977年に(この年パンク元年!!)19歳で大学生活を始めるために島根県松江市から上京して一人暮らしを始めた。以来、長いこと父親とは離れて暮らしていたるので、そんな知恵を身近に教えてもらえる機会はなかった、というのは体のいいいい訳で、同居していても多分ボクはそんなことは聞かなかっただろうな・・・。(この父親にはボクはずっとアンビバレンツな想いを抱いて今日まで親子関係を続けている。彼はそのことに気づいているだろうか。なにしろ二言目には〝ガンバレや〟というこの父親のこの一言はいまでもボクの一番のアンチスローガンなのだ)
 ガンバってはいけないのである。ガンバルというコトバの中に潜んでいるマイナスイメージの危険に気づいている人がこの国にはあまりに少な過ぎるのだ。
 うつ病の患者に一番いってはいけないコトバが「ガンバレ」なのである。
 ところで、リクルートの出しているフリーペーパー『R25』の2004年8月発行のNo.8のインタビューは吉川晃司氏で、そのインタビュー記事の最後はこう締めくくられていた。
 (彼は渡辺プロダクションを経て、今や自分のマネージメント会社の社長なのだ!)
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 奮闘する吉川に客席から「頑張れぇ」という声援が何回も飛んだ。
すると吉川はこう言い返したのだった。
「頑張れ、言うな」
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やるな!広島県人!!

 というわけで、今後『チャラリ~マンの父から息子へのしょっぱい人生ログ』のタイトルでは、数年後社会人になる息子のために、人生ログを残すことにします。
 ブログ、スゲェ~。
 ボクは石原裕次郎の〝夜霧よ今夜もありがとう〟という歌をいつも、ナゼか〝メディアよ今夜もありがとう〟と読み替えて解釈してきた。
 いままさにその時代がきた感じがする。自メディアとしてのブログ。自らのメディアを持てていることの自負と歓び。
 経済では、人間の尊厳の復権は出来ないと前に述べたが、ブログの照らすメディア力で、ボクは〝民族を意識するアティテュード〟のことを、今後少しずつ別タイトルのログでお伝えする予定でもある。
 ログタイトルは『感じる古代出雲』にしようかな。
 上京して以来、空洞化していた自分の人生、裏でうっすらと走っていた自殺願望のプログラムの正体のひとつに、失われた自分の出自、民族としての出自というものがあり、そのプログラム
を打ち消す契機となった、石飛 仁さんの本『蘇れ古代出雲よ』と氏と一緒に活動を開始した『古代出雲を感じる会』のことについても、すこしずつログを積み重ねていく予定である。
 テーマは、〝東京発、古代出雲経由、韓半島乗換えの東アジア〟といったところだろうか。
 
by mimiokun3 | 2005-03-21 13:33


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