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おカネにまつわるエトセトラ(2)

d0002395_23404915.jpgd0002395_2341158.jpg 去年の12月だったか、ともだちのwebデザイナーM本くんに子供が生まれることがわかったので、さっそくボクは、彼が好きな〝マッハ号〟(漫画の〝マッハGO!GO!GO!〟に出て来る日本が誇る最高のプロダクト・デザインのスポーツ・カー)を贈ることにした。
お返しに、新しい仕事が決まったボクへの就職祝いに、彼にはやはり車を贈ってもらうことにした。
 彼へのお祝いと、お返しのボクへの贈り物のリクエストのことをメールした文面を、ボクはいまでも気に入っている。
 ボクはメールにこう書いた。

ベビー誕生おめでとうございます。きみには想像上の実物大のマッハ号を贈ります。
ボクの就職祝いには、想像上のロールスロイス・ファントムを贈ってください。


 想像上の対価が交換された。
 ドイツ現象学的というか、カール=グスターフ=マルクス的な詩学のいちばん美しいエッセンスを感じさせるというか。
この修辞(レトリック)はけっこう気が効いているとボクは思うんだ。
 お金を使うことなく、大きな満足感が交換されたのである。贈与のもつ概念性の、いちばん深い部分に触れているのではないだろうか。
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by mimiokun3 | 2005-04-30 13:54

おカネにまつわるエトセトラ(1)

d0002395_23381845.jpg  訳あって、知り合いの50代のご婦人に借金を申し込んだら、「貧乏神がついてるんじゃないの。お気の毒ねぇ・・・」といわれてしまった。「貧乏神も神様だからな」とは、神話の国・出雲の地は松江に住む妹のダンナの名言である。
 お気の毒だと思うなら、何か仕事を回してくれてもよさそうなものだが、知り合ってから5年ほどになるが、先様からその気配はなく、たまに会ってはいろいろとご飯などご馳走になりながら、「アナタももっと高いステージに立たなくてはダメよ、ワタシのまわりはみんな成功したすごい人だらけなのよ、ワタシのそばにいればどんどん良くなるのに、アナタはだんだん離れていって上がって来れないわねぇ・・・」といわれる始末である。噛みあわないことはなはだしく、プラス思考に潜む強いマイナス思考を激しく警戒しているボクとしては、プラス思考を強要するタイプの人にはやっぱり共感できないなぁ、と思うばかり。うつ病の人に「頑張れ」っていっちゃいけなのとおんなじで、強いプラス思考の強要は、受けた方ではその反作用で逆に強度のマイナス思考を惹起するんだぞぉ~!!
 「同情するなら金をくれ」とは、ドラマ「家なき子」で安達祐美の口から放たれた、古今東西にわたっての至言だと思われる。100円のお金にも困ったことのある人に、このことばは重いリアリティーを持つハズだ。
 ところで、人間は借りた金には無頓着で、貸した金には執着する動物だ。人間だけがお金について悩み、そのことで同種である生き物の人間さえ殺してしまう。生物の世界で人間が癌(キャンサー)である理由はこのことが原因だろうな。極論すれば、戦争の原因もお金(経済)なのである。
 先日、パソコンの前で仕事をしていたボクの真横に、同じ職場に勤める20歳年下の先輩のF倉が、そのでかいガタイを横付けして「ミミオさん、この間貸したカネいつ返してくれるんスか」と聞いてきた時には思わずドキッとしたな。ボクはコイツに何回か飲み代を借りていたのだ。借りた金は返さなくてはいけないのがジョーシキというやつだが、面と向かってそのことをいわれると、真情は激しく動揺しちゃうのである。
 ところで、社会人になって給料をもらい始めて間もない1981年頃、I畑という先輩に1万円貸したことはいまだに覚えているんだな、これが。手帳に書いてもらった借用書は、いまではもう会うことなどないだろうと思って、何年か前に破り棄ててしまったが。でもその後、彼のことは、何度か夢に出て来たんだよ。
 芸能プロダクションでマネージャーの仕事をした後、自分で事務所を作ってプロダクションのオーナーになったら経理にカネを持ち逃げされて、やむなくサラリーマンになったという経歴の持ち主だった。確かその後、すぐに堤大二郎のマネージャーになって元の世界に戻って行ったはずである。彼は今どこでどうしているだろう。貸した1万円は、バブル期には2万円の価値があり、今ではその価値は半減した、というとそういうわ訳ではない。時代は変っても、1万円は1万円である。そこが1万円のスゴイところだな。
 そういえば、F倉は三重県で、I畑は和歌山県出身者だ。
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by mimiokun3 | 2005-04-30 13:50

家族の肖像/ボクの奥さん編

 そういえば、家族には、「自分のいた家族」と、「自分の今いる家族」のふたつがあるな。自分の今いる家族を起こしたのは20年前のことだ。結婚して今年で20年。結局、社長になれるような器量はなかったが、家長にはなれたとううワケだ。ま、こんなもんかな。
 オカーチャンには、ただただ感謝するほかないな(口ではいえないが)。家庭の経営者としては、あまりに頼りないコトは、自分でも十分に自覚している。ジョブ・ホッピング(転職)を繰り返して来たここ5年間は、稼いでくるお金は一頃の半分に減らしてしまったしね。よくリコンされなかったと思うよ(これから先はワカランけど)。
 ケッコンする前に、ボクはこの人が屈託なくすごくいい表情で笑った顔を撮ったことがある。はじめて彼女の実家にケッコンすることになった挨拶をしに行った時に、利根川の川原に散歩に出かけたときに撮影した1コマだ。その写真は、35mmのポジ・フィルムで、プラスチック・マウントに入れて今も手元にある(部屋のどこかに)。
 彼女にそのことを話したことはない。これからも話すことはないだろう。息子にそのことは話したことがある。彼が覚えているかどうかは別にして。
 今はもう、こんなにいい表情で笑うこの人の顔は見なくなってしまったよ。8割はボクのせいであるかも知れない(あとの2割は本人のせいであると思いたいな)。
 この人の顔は、小説家の高橋源一郎に似ているのさ(天龍源一郎じゃないゼ!! ベイベェ~)。
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by mimiokun3 | 2005-04-30 11:14

ゴールデン・ウィーク・ア・ゴー・ゴー(2)

d0002395_1033642.jpg ゴールデン・ウィーク2日目。きょうは昨日よりちょっと気温が低い。朝起きてベランダを覗くと、猫のK吉がいきなりクシャンとひとつクシャミをした(猫がクシャミをするなんて、ボクは彼と暮らし始めてからはじめて知ったのだ。それに、猫にまつげがあることもね。彼のことはいつかちゃんと書くことにするよ)。
 それにしても、きのうは暑かった。ボクは暑いのはいくら暑くてもかまわない。夏は暑くなければ夏ではないのだ。南国の生まれかと問われれば、出身は山陰、むかしでいう裏日本の産だと答える。ずいぶん前に「(出身は)沖縄ですか?」といわれたコトがあるな。
d0002395_1053620.jpg ところで、夏といえば今から20年以上前(それにしても、ボクのブログのネタはむかしのコトが多いなあ)、社会人になりたての頃しばらくは、夏が近づくと、ボクの頭の中にはトム・ロビンソンン・バンドの〝ロング・ホット・サマー〟が鳴り響くのだった。彼らの1st.アルバム〝パワー・イン・ザ・ダークネス(1978)〟収録のその曲は、メンバーのオルガニスト、ドルフィン・テイラーの疾走感あふれるオルガンが最高にカッコいい曲なのだ。(ついでに、特筆すべきロックのオルガニストのことをアーカイヴしておくか。レイ・マンザレク/ザ・ドアーズ。ジョン・ロード/ディープ・パープル。マシュー・フィッシャー/プロコル・ハルム)
 何かが起こるかもしれない、胸騒ぎの夏の予感でワクワクしていた。
 人生を変える運命の出会いがボクを待っているかも知れない。
 それよりも何よりも、日本の文学を終わらせてしまうようなすごい小説が、その夏ボクによって書き上げられるのではないか。気が狂いそうなほどの妄想で(実際ボクは、日本の文学を自分の手で終わらせる小説のことを構想していた1985年の1月、精神的崩壊をお越しそうになり、あやうくその一歩手前でこちら側に引き返した経験がある。あれから20th。今年はアニバーサリー・イヤーか)ボクは夏の到来を切望していた。
 それにしてもあの頃は、自分をごまかすように仕事をしていたな。
 夢とか希望なんてものはこれっぽっちもなかった。お金もオンナにも縁がなかった。そのくせ自分は世界の中心で日本の文学を終わらせるほどの能力と運命を背負った人間ではないかと思い込んでいたのだ。仕事は、自分をだましだまし生きていくために、食べるためのしかたない手段といった感じだった。
 もともと、好きな本とレコードが自分のお金でかえればいいや、と思ってしかたなく始めた社会人生活だったのだ。〝自分のお金〟といえば、サラリーマン生活でもらったお金は、長い間少しも「自分で稼いだ」という気がしなかったものだ。自分をだましながら1ヶ月を何とかやり過ごすと、給料日にお金は「自動的に」振り込まれてくるのだった。
 
 夏が来る。しかしその前に、ドルフィン・テイラーのオルガンにスピードに自分の意識の速度を合わせながら、ボクの夏は妄想の中で白光し、季節はピークを迎えていた。
 そしてカレンダー上の夏が来る。いつも何も起こらなかった。運命の出会いも、日本の文学を終わらせる自分の小説の出現も。ボクの夏は、いつも妄想の中でとっくに終わっていたのだった。
 
 
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by mimiokun3 | 2005-04-30 09:48

チャラリ~マンの父から息子へのしょっぱい人生ログ/パン屋編(3) 

 誰もが一度はパン屋になった方がいい。パン屋にいた頃、ずっとそう思っていた。
 勤め始めた頃、遠くにあったパンを手を伸ばして取りに行こうとしたら、ボクを雇ったパン屋のオヤジは即座に「お前がパンの方に寄って行くんだよ!!」と怒鳴っていったものだ。
 頭だけで考える人間は、遠くのパンを手を伸ばして取りに行く。これは知識レベルの行動だ。頭と体をつなぐシナプス(神経細胞)がきちんと結線された人間は、遠くのパンを取りに行くのに自分の体を近づけていく。これが知恵なのだ。パン職人たちは誰もが、ほんとに知恵の塊だったよ。
 実はボクにはずっと、知恵がなかったんだよな。
 いろんな職種に就いたから、それぞれの職種に独特な道具や用語だけはいろいろ覚えたよ。
 パンを挟む金属の道具は「トング」という。
 パンを入れるプラスチックの大きな箱は「ばんじゅう」というのさ。
 パン生地をこねる台は「麺台」。
 ところで、はじめて車でパンを売りに行ったのは、2003年1月の初旬で、デビュー戦の日はみぞれが降っていた。西荻窪から光が丘まで行った。どこも同じよう道でさっぱり方向感覚がつかめなかった。それでもどこかに適当に車を止めて音楽と呼び込みのテープを流してみた。
 とにかく無我夢中という感じで1日が終わると、はじめての売り上げは19,000円だった。
 止まったところがお店になる。さっきまで何もなかった路上に、ボクの車が止まると、そこがお店なのだ。
 これってスゴイよな!!
 まがりなりにも20ヶ月間、ボクがずっとパン屋を続けたのは、このアメイジングがあったからなんだ。
 20ヵ月後、ボクを雇ったパン屋のオヤジがタオルを投げ入れるまではね。
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by mimiokun3 | 2005-04-29 23:17 | チャラリ~マンの父から

ゴールデ・ンウィーク・ア・ゴー・ゴー(1)

d0002395_206433.jpgd0002395_2062347.jpg  ゴールデン・ウィーク初日である。いきなり夏日で一日中暑かったね。こんなに暑いと、もう靴なんて履いていられない。さっそくビーサンだ!とばかりにビーサン履きで町に出た。この時は綿パンを履いていた(写真左)。午後になると気温はグングン上がって夏のようになり、ボクはとうとう短パンに履き替えてしまったよ(写真右)。 
d0002395_20342056.jpgそれにしても、みんな朝から飛ばしまくっていた。 自宅近くの善福寺公園緑地では、あちこちで朝から野外パーティーのグループがバーべQの準備をはじめていたのだ(肖像権を配慮して撮影は自粛。写真はきょうの朝のひょうたん池)。
 ボクはといえば、1年前のゴールデン・ウィークには、自分のホームページを持つにはどうしたらいいか、その方法がわからず毎日イライラ悶々としていたのだった。アイディアやコンテンツはどうにか揃えることは出来るのだが、その先をどうやっていいかさっぱり見当がつかった。
 友人のwebデザイナーのM本くんに相談しようと思ったまま、去年のゴールデン・ウィークはあっという間に終わってしまったのだ。その時、ボクはまだパン屋の仕事をしていた。
d0002395_23465358.jpg 年が明けて、今年の1月に買った1冊の本がボクの運命を変えた。
 『超簡単!ブログ入門~たった2時間で自分のホームページが持てる~』(増田真樹/角川oneテーマ21新書)がそれである。
 この本を読んで、ボクはブロガー・デビューを果たすことが出来たのである。本当に作者には、深く感謝します。
 〝夢は実現する。あなたが強く思ったことは必ず実現する〟などといわれると、「来夢来人」と書いて「ライムライト」と読ませるような、ショート・ケーキでいいのに無理やり「スイーツ」といい替える」頭の悪さにも似て、頭が割れそうになって吐き気がして来るのだが、やり始めるとボクにもブログが出来るんだ!とばかりの親しみやすさは十分に感じているである。
 つくづく自分向きのメディアが出現してよかったと思う。
 1年前の自分ではない自分になれて、すごくよかったなって、いまは思うんです。
 ありがとうございます。
 こうなれた運命のようなものに、感謝します。
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by mimiokun3 | 2005-04-29 20:05

東京写真アーカイヴス/高円寺/2002/9

 人は何を求めて新宿に出かけていくのであろうか。あれだけの人は、いったい何を求めてあの街へ集まるのだろうか。
 ボクはといえば、上京以来きょうまで28年、新宿には何の用もないし、また何の思い入れもない。数年前までは、新宿へ用事というと、丸の内線を使って新宿駅を降りると、迷うことなく駅ビルの〝マイ・シティー〟の5Fへ直行するのだった。そこにある山下書店のコミックスコーナーを覗いてから、そのまままっすぐ進んで、HMVでJ☆POPの新譜コーナーをカクニンした後、ロック(洋楽)のコーナーを何とはなしに流してから、最後はお約束のようにHMV発行のフリーペーパーを手にして家路へ急ぐのだった。その山下書店も、いまはもうない。しばらく行かないうちに、いつの間にか他の店に変っていたのだ。ここで、しまおまほちゃんの〝女子高生ゴリ子〟を買い、一峰大二の〝電人アロー〟の復刻版コミックスを買ったのはいつのことだっただろう。
 ボクにはどうでもいいい街新宿。’68年頃、花園神社では、唐十郎の紅テントが暴れまわっていた街新宿。吉祥寺と同じくらい、ボクは新宿に無関心だし、また無縁なのだ。
d0002395_1937215.jpg さて、地元高円寺である。新宿から中央線に乗って20分くらいで到着する町。前フリが長すぎただろうか。北口にある高円寺文庫センターにはよく行く。それよりももっと行くのは、パル商店街にある古本屋さんだ。ところで、銀座ルノアールの本社は、銀座ではなく高円寺の北口にあるのはご存知だろうか。むかし、新規得意先訪問で飛び込んだことがある。仕事はもらえなかったが。 
 2002年9月のある日の休日、いつものように高円寺文庫センターへ立ち読みに出かけようと自転車をこいでいると、高円palのアーケードが見事に取り払われている光景が目に飛び込んで来た。
 これはとてもめずらしい風景だ!!
 急いで自転車をUターンさせて家に戻ると、一眼レフカメラを手に取り、再び現場に戻った。
 アーケードのない高円寺pal商店街!!いつもは見ることのできない空が頭の上いっぱいに広がって、何ともいえない開放感に満ちていたのである。それよりも何よりも、その場には、いつもの高円寺をいつの間にか場末の地方都市のように変容させる表現力が満ち溢れていたのだった(ボクのイメージでは群馬県の町のようだった!行ったこともないくせに)。このまま、アーケードのない高円寺であれかし、と切ないまでに望むのもむなしく、やがて新しいアーケードは取り付けられてしまった。それにしても、そのアーケードの中ほどにあった2階建ての大型書店はいつの間にかドラッグ・ストアに変ってしまい、その近くにあった小さな本屋はいまや雑貨屋になってしまったね。
 本屋は、もう儲からない商売になってしまったのだろうか。
d0002395_19425631.jpg この写真は、3年ぶりに撮ったきょう(2005/4/29)の高円寺palの様子である。
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by mimiokun3 | 2005-04-29 18:21

東京写真アーカイヴス/阿佐ヶ谷団地

d0002395_23515347.jpg 谷川俊太郎氏によれば、氏の実家の裏は、むかしずっと田んぼだったそうだ。そこに、昭和40年代、公団住宅が建った。
 阿佐ヶ谷団地------。
 今流でいう〝ガーデニング〟が似合うテラスハウス風の住宅が並んでいる。英国風の住まいは、こういうたたずまいなのであろうか・・・。
 ここに住むには、低所得制限があるらしく、一定程度以下の収入の人でなければ入居ができないらしいのだ。数年前、ここを何人かの人たちとカメラを片手に歩いた時に、その中にいた若い女性が、誰でもいいから収入の低い人と結婚してここに住んで、ガーデニングをしたいものだわ、とのたまっておられた。
 この話を誰かにした時、だったら演劇関係の人と結婚したらいいんじゃない、といわれて不思議に納得したことがある。
 そういえば何年か前に、丸の内線の車内でその谷川俊太郎氏を見かけたことがあるな。この人が父親に哲学者の谷川徹三を持ち、〝鉄腕アトム〟の作詞をした人なのだと、わざわざ氏の座った席の前に立ち吊革につかまって、まじまじと氏を〝見下ろし目線〟で視殺したことがあるのさ。
なぜ視殺かというと、とりもなおさずそれは、血統種に対する雑種のジェラシーなんですね。もっと直截的にいうなら、貧乏人のヒガミってやつです。
 写真の43という棟の数字は、ボクが43歳の時に撮ったからである。
captured in 2001/7/15
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by mimiokun3 | 2005-04-28 23:51

東京写真アーカイヴス/中目黒あたり

d0002395_2394280.jpg 東横線中目黒駅から目黒川沿いに目黒方向に歩き出す(ちょっと早口ことばのようだな)。右手前方に突起物(煙突)を発見。すぐに反応してシャッターを押す。リバーサル(フィルム)乗りの、すごくいい青空だ。
 近くにゴルフ練習場のネットが目に入り、シュバやく反応。またシャッターを押す。現像が仕上がって、リバーサル・フィルムをルーペで覗きながら煙突を見ると、ピンク・フロイドのアルバム・ジャケットを想起させるたたずまい(アルバム・タイトルは、たしか〝アニマルズ〟といったっけ。いま手元にディスコグラフィーがないので、ちょっとあやしい)。夕陽(?)を受けたアンバー調の英国の火力発電所が〝おばけ煙突〟のように屹立するジャケットの記憶。ついでにフロイドの話をすると、ボクはシド・バレットのいた頃の1st.アルバム(?。たしか〝relics〟っていうタイトルで白地にスミのイラストが描いてあるジャケットだったんだけど。あれ、1st.じゃないのかな)がいちばん好きだな。なかでも〝シー・エミリー・プレイ〟はいい曲だ。もうひとつついでにいっとくと、この頃のフロイドとディープ・パープルは非常にテイストが似ていて、ボクの中ではほとんどカブってるんだ。パープルの初期の曲〝ハッシュ〟はフロイドの初期音といってもおかしくないくらいだ。ともにスタートは、サイケデリック・バンドだというべきか。                                             d0002395_23145547.jpg
 アップした写真は、ホントはわが家にあるオカーチャンのフラットベットスキャナーでスキャニングして、もっとコンディションのいい状態で載せたかったのだが、哀しいかなスキャニングのスキルがない。そこで、イーストウエストに用事で行ったついでに、マウントした35mmのポジをそのままビュアー(ライトボックス)の上に乗せて携帯電話のデジ・カメで複写する、といった苦肉のローテク殺法なのだ。ガルルルル・・・・。
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by mimiokun3 | 2005-04-28 23:02

チャラリ~マンの父から息子へのしょっぱい人生ログ/パン屋編(2) 

 パン屋で販売の仕事に就いてよかったことといえば、日銭商売の機微を体で理解できたことである。ボクがやっていたのは、パンを作る方ではなく、焼きたての無添加パンを車に積んでの「行商」の仕事である。月・水コース、火・金コース、木・土コースといった具合で、コースを3つに分けて1日おきに同じ場所を回った。
 「行商」をしてわかったのは、売れる日と売れない日があるということだ。
よく売れる日は、何があっても売れる。昼休みに車の中でお昼を食べている時でさえ、お客さんがパンを売って欲しいと運転席まで顔を出してくださるのだ。
 ところが、売れない日というのはトコトン売れない。何をどうやったって売れやしない。自分のどこかに何か重大な非があるのではないかと、疑心暗鬼に陥ってしまうのだ。つい、2日前に行った同じ時間帯、同じ場所で、まっったく売れないことが起こってしまうのである。
 なぜか。
 なぜかといわれても、それがどうやら「商売」というものの実相らしいのだ。
ボクを雇ったパン屋のオヤジはいったものだ。「売れた売れないで一喜一憂してたらダメだ」と。
また、オヤジはこうもいった。
 「商売というものは、薄紙を1枚1枚重ねていくようなものだ。1枚1枚は薄い紙だが、重なれば動かしてもビクともしなくなる」
 確かにそのとおりのことを感じたのだった。
 20ヶ月、雨の日も風の日も台風の日も炎天下でも雪の日も、日曜日以外は1日も休まず、12,000人に手売りで無添加パンを売り続けたボクの実感は、こういったフレーズに集約さる。
 「商売の要諦は自分に負けないことに尽きる。敵は自分である」 
 
 仕事をしていた西荻窪は生活をする人の町だった。
 それまでは、仕事といえばネクタイを締め、アウシュビッツもかくやと思われる満員電車にギュー詰めになって職場に行き、机に座ってのいわゆるデスク・ワーク。職場の周りはオフィス・ビル中心で、買い物をする主婦の姿など、仕事中にはついぞ見かけたことなどなかった。
 肉屋があり、八百屋があり、魚屋があり、ラーメン屋があり、スーパーがあり、本屋があり、弁当屋があり・・・
 人が生活する空間とはこういうことなのか、とあらためて不思議な感じがしたものだ。
 漫画でしか知らない「もーれつア太郎」の記号的な庶民世界が現実化した時空間を、はじめて
わが身で体験したのだった。
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by mimiokun3 | 2005-04-28 22:23 | チャラリ~マンの父から